===看護教育の問題点===

看護師になられようとする方々および看護師の皆様へのメッセージ

私が看護教育を受けての感想〜

看護教育についての問題提起,看護教育の改善に役立つ事を期待して

  (COX著)

 

序 言

「病に苦しむ患者さん達のお役に立ちたい」その他の純粋、崇高な理由から「看護師になりたい」「看護師志望」というのであれば、その方は御立派だと思いますし、ぜひとも初志貫徹されることを期待します。

 しかし、私自身が看護師養成課程で受けた教育を思い起こすと、看護師の発言内容、教育方針にはしばしば疑問を感じることがありました。看護学生(大学生)と話していて、「看護教員のものの考え方はおかしい,社会常識として通用しない」と聞かされたりもしました。それゆえ、若い方々が看護の道を選択さ;れることを必ずしも喜べない側面があります。

  看護師にはきつい記載内容ですが、以下に記すのは、あくまで私と言う一個人が一つの教育施設で受けた教育に対して、あるいはその他の看護師の発言を聞いたり読んだりして持った感想に過ぎません。特定の組織、団体を誹謗中傷するものではないことを御了承下さい。このような注意事項を明記し、「全ての看護師と教育施設に該当する記述ではない」と分かってもらうために表紙頁では「適宜、"一部の"という文言を補ってお読み下さい」と記しているにもかかわらず、「全ての看護師に当てはまるとの誤解を与える」と言われる方があります。何か書く度に「一部の」という文言を付け加えれば、「一部のことなら特に強調する必要はない」と言われます。婉曲表現ばかり使うと、分かりにくいと言われます。結局、単純明快に批判を覚悟で記すしかありません。。

  看護師,看護教員が気付いていないのではと思われる点,認めたくはないであろう点,看護教育の悪い面だけを書いているので,看護師の方が以下の文章を読めば、よい心地はしないとは思います。誇りを持って現在の仕事をされているのならば、当然でしょう。しかし、これを読んで、「私は純真無垢な気持ちを持ち続けられる」「私は世渡りが上手だから上手く切りぬけられる」と自信を持てる方だけが進学をし、それ以外の方は中退の結末を避けるには、進路を考え直した方がよいように私には思えるのです。現役の看護師、看護教員の方は、看護、看護教育を見直すきっかけにして下されば幸いです。反論の意見を書きこむ前に,例え看護教員に悪意はないとしても,無意識にだとしても,誤解されかねない発言をしていないか,今一度どうかお考え下さるようお願いします。

 写真も図表も無く文字だけの長文ですが、看護教育をよりよいものにするための問題提起としてお読み戴ければ幸いです。改定時に多少は見やすくしたつもりですが,長文なので時間のあるときにじっくりお読み下さい。

 


(主な内容)

1)看護教員の発言で不適切と思われる表現

 看護教員の発言を鵜呑みにするのではなく,客観的に考えてみて下さい。

2)看護師養成課程を卒業するコツ

 渡世術というほど大げさではないけれど,ちょっとしたコツの紹介です。


<<<看護教育でよく聞かれた発言>>> 

誤解や非難を恐れず、敢えて少々過激な表現を用いて看護教員の発言の特徴をあげるならば、

1.他の医療従事者、特に医師に対する憎悪

2.過度の看護師賞賛

に要約できるのではないかと思います。本当に乱暴な表現になってしまいますが、平易な表現を用いるならば、「看護師である自分達を持ち上げて、他の医療従事者を見下す」ような印象を少なくとも私は受けました。看護師からは反論が予想されますが、このように受けとられかねない話し方をしていると私には思えました。より、具体的に私の耳で直接聞いた看護教員の発言をあげてみます。

・「医師は患者の病気は見ても、患者という人間は見ない。」

・「薬剤師は調剤して、薬を患者に渡しておしまい。臨床検査技師は検査室にこもって検査をしているだけで患者さんには余り接しないし、心電図検査などで接することはあってもその場限り。看護師は患者と接する時間が長く、患者のことをよく理解し、他の医療従事者よりも患者の役に立てる。」 

  前者の医師に対する批判は私が看護教育を受けた当時も現在も、多忙と言う理由はあるにしても、医師には反省すべき点はあるでしょう。しかし、繰り返し白衣の天使の卵にこのような発言を、まるで医師全てが非情な人間であるかのように聞かせることに疑問が感じられました。これでは、看護師と医師との間の人間関係を複雑にしてしまうように思えます。

 後者の看護師以外の医療技術者、いわゆるコメディカルに関する発言も、確かにその通りではありました(但し、薬剤師については、現在では積極的に患者さんに服薬指導などをしていて、事情が変化しているようです)。しかし、これらの職種はそのような業務を行なうために存在するのであり、看護師以外の医療技術者から見れば、「看護師からとやかく言われる筋合いはない」と反論したくもなります。他の職種の重要性を述べた上で,看護師としての誇り,看護師の長所を述べるのならよいのですが,看護教員から他の職種を尊重する発言を聞いた記憶は残念ながら私にはありません。

 看護師に医師と同じ診断・治療のための知識と技術がありますか?薬剤師と同じ調剤や処方箋監査の知識,技術がありますか?理学療法士に代わってリハビリが行えますか?専門が職種により異なるのですから,それを認識する必要があります。

看護師としての誇りを持つのは結構なのですが、繰り返し他の医療従事者を見下しているとも解釈されかねない(看護師にその気が無くても)発言を若人達に聞かせていては、彼ら、彼女らが過度の誇りを持ち、他の職種と不仲になり、各種医療従事者が協力しないと成立しなくなっている現在の医療に悪影響が出ないか私は懸念してしまいます。また、誇りを持ちすぎて、患者さんを見下すようになってしまうのではとも思えます

 

実際、医師と看護師の不仲については,少なくとも1つの要因として,看護師の高すぎるプライドがあるのではないでしょうか(勿論,医師側に問題がある場合もあるでしょうが)。また,入院時看護記録を記入するために看護師が以前にかかった病気、現在の病気の経過など患者に聞く際、患者が正確に答えると不信をあらわにされるという場合があったりするようです。しかし、情報はお金さえ出せば手に入るとも考えられますし、やる気さえあれば下手な医療従事者よりも詳しい知識だって理解できます。それに、医療関係の有資格者、学生が患者の中に紛れこむ場合だってあるはずです。患者さんの話はしっかり聞いた方がよいと思われます。

「医師はすぐ薬に頼る」

との発言も聞かれました。伝えられるところでは、医療機関経営の都合上、不必要に薬を出しておられる、出さないと解雇されるのでやむを得ずそうしている先生もおられるようですし、薬大好きの先生も中にはおられるでしょう。しかし、

原則として薬は現在の病状を医師が診察して必要と判断したり、投与することによる利点(病状改善 等)が欠点(副作用、費用 等)を上回ると考えられるからこそ使うものです。むやみやたらと薬に依存しているわけではありません。

薬を使わないことで、味わなくても済む苦痛を患者さんに耐えさせるとしたら、それは倫理上問題だと私は思います。医学を否定しているとしか受けとれないような発言がしばしば聞かれたのは問題に感じました。

 確かに看護師がしばしば強調するように、薬物以外の方法、生活指導も大切です。しかし、現実的でなかったり、不適当と感じられる場合が無いとは言えませんでした。非薬物療法の限界,実用性についても考えて,誤解を招く教授方法は避けたいものです。

  例えば、鉄欠乏貧血の場合鉄分の多い食事は大切であり、その発症予防、再発予防には食事として鉄分の多い食物を普段からとる必要があります。しかし、食事の重要性を強調しすぎて治療薬の意義を軽視してしまってはいけません。"鉄欠乏貧血"と診断できる状態では、この貧血を治すためには薬として鉄剤を飲む必要があります。いくら鉄分の多い食品を選んでも、"鉄欠乏性貧血"を治せるだけの鉄分を食事だけからとるのは不可能なのです。--誤解されていた方がおられましたので,付記します。ここでは基礎疾患の発見と治療の重要性や再発予防を目的とした食習慣の見直の重要性を否定してはいませんので,御注意下さい。

 高血圧で減塩食が望ましくても,減塩による降圧効果の出にくい人もいますし,運動による降圧効果にも限界があります。非薬物療法だけで「十分な効果」が得られ,それが現実に「実行可能」なら,製薬会社が大金を注ぎ込んで新薬を開発はしないでしょうし,医師も積極的に薬物を投与しないでしょう。

 手術後の痛みについても、「鎮痛薬に頼ってはいけない」とか、「すぐに医師に連絡するのではなく、我慢できるところまで我慢してもらう」と私は看護師養成課程の外科看護学総論の授業で習いました。私には、それがとても常識的とは思えませんでした。苦痛に耐えさせるだけでは、これは

「看護師のための看護学」であり、患者のための看護学ではないとさえ思いました。

医学生向けの麻酔科学の教科書に「術後疼痛には警告反応の意味合いはない。積極的に治療すべきであり、治療開始が遅れると、対応が困難になる。」と書かれている時代になっているのに、手術後に痛みを訴える患者に「我慢できますか?」と尋ねている例もありました。未だにこのような対応をしている医療機関、看護師は稀かもしれませんが、もし手術後に痛いと感じたら、遠慮せずに鎮痛薬を要求しましょう。我慢できるか聞かれた場合、痛みを訴えるということ自体ある程度以上強い痛みとも言えますし、無理に「我慢できる」と答える必要はないと私は考えています。そもそも「我慢できますか」という聞き方は、例えその気が看護師にはなくても「我慢すべきもの」と患者に言っているように解釈される危険がないでしょうか。「我慢できますか」と聞いていないといわれる方もおられるでしょうが,それに類する行為をして全くしていないと断言できるか,今一度お考え下さい。断言できるなら,それにこしたことはありません。

--誤解される方がいるようなので付記します。他の原因で起こる痛みすべてについて,即座に治療せよとは書いたつもりはないので,どうかご了承下さい。状況によっては,診断のために無治療で経過観察をする必要性を否定するものではありません。ただ,痛みそのものが治療の対象になる場合があることを麻酔科の教科書(医師,医学生向け)で,今一度ご確認下さい。

 

「医師と異なり、看護師は患者と接する時間が長く、患者のことをより理解している。」

との点についても、本当にそうなのでしょうか。私の数度の入院経験からは、これが真実とは私には思えませんでした。検温、手術室の送り迎えなど、用事が無ければ個々の患者のところにはそう看護師が来るものではないように私には思われます。用事が済めば他の仕事に移り、患者さんと歓談し続けたりはしないでしょう。特に、看護師不足が深刻な現在ではそうでしょう。仮に看護師の"誰かが"患者の傍にいた時間を合計すれば、主治医より長い時間患者の傍にいるかもしれません。しかし、だからと言って看護師は患者と接する時間がずっと長く、収集できた情報量もずっと多いと断言できるでしょうか。それに,外来で患者さんと付き合いの長い臨床医は,意外に患者さんのことをよく理解していたりしないでしょうか

 患者として看護師と接してきた経験からみても,一般論として看護師は必ずしも医師より患者のことを有意差を持って理解しているとは,少なくとも私に関しては,実感できませんでした。入院患者に異変があった場合,適宜主治医に連絡しているでしょうかも考え直してほしい気がします(多くの看護師が怠っているとの所謂エビデンスevidence,科学的根拠は持ち合わせていませんけど)。

  「看護師同士で患者の情報交換をしているから看護師は医師よりも患者を理解している」というのであれば、医師に対する陰口とも取れるような発言なんかしていないで、仲間である医師に対しても有用な情報ならば適宜提供すればよいと私などは思ってしまいます。もっとも、「すでにしている」と反論が来そうですが・・・。大切なのは,上記のような発言を繰り返すことではなく,

「必要な情報は適宜,職種間で交換し合う」

ことですし,そう教育,指導すべきでしょう。

  看護師としての誇りを持ち,自分達の長所を強調するのはよいのですが,他の職種の悪口を言っているともとられかねない発言はむやみにしないで,どうしても看護学の授業,講演で他職種の欠点に言及したい時は,現在の医療における他職種の重要性を話し,存在意義を認めた上で話すべきでしょう。
 他の職種の養成課程では,看護教員のように他職種の非難はしないのではないでしょうか。

「看護師は医師の下働きではない」

とも時々聞かされましたが,実際の看護師の仕事を見ていて,一般の方々は納得できるでしょうか。病棟では,医師の手伝いをしたり,外来では事務員でもよさそうな仕事さえもしています。「下働きだけではない」というのなら分かるのですが,医師に対する敵対心,あるいは劣等感の現われとしての発言とも思いたくなってしまいます。それに,悪い表現を用いると「下働き」,よく言うと「診療の介助」は看護師の1つの仕事であり,看護教員は気にし過ぎではないでしょうか。

 看護教育に限ったことではないでしょうけど,看護師,看護学生の発言を見ていると,

「看護」という表現にこだわり過ぎている

  というか,「看護」という表現が一人歩きしているというか,そんな感じがします。大切なのは,どうすれば患者の利益になるかであり,各職種の医療従事者がそのために何ができるかです。言われるまでもなく承知していると反論や,看護師養成課程なのだから看護という表現を使うのは当然との反論が寄せられそうです。しかし,「看護」という表現ばかり目立って,本来の目的を忘れているように,私の個人的な印象に過ぎないとは言え,そのように思えるのです。「---の看護」という時に,患者の利益を最優先して述べているか,看護のための看護になっていないか,ちょこっとは考えてみて下さい。


<<<看護師養成課程を無事修了するためには>>>

*医師の担当する医学の講義は、医学生向けの教科書や参考書を買い込み、勉強する。
*看護師の担当する看護学の講義は、毎回必ず出席し、板書がなくても要点を逐一ノートにメモし、試験時には教科書なんか見てないでノートを丸暗記する。

ということが必要になるでしょう。

 医学の講義では>>>

 医学生ではなく看護学生だからと言って極端に教育水準を落としたりはしない先生がおられます。大学の看護師養成課程では医学部の教授陣が授業を担当し、医学部と同じつもりで英語の教材、資料を使うかもしれませんし,微生物学では細菌の名称についてラテン語の学名を覚えることを求められるかもしれません(当然のこととして学生にこの点を話さない場合あり)。看護師向けの教科書は記載が簡潔過ぎてかえって分かりにくく、医学生向きの方が適度に詳しく分かりやすい場合もあるので,研修医や医学生向けの本も参照してみて下さい。

 医師の担当する医学の講義では、試験の採点基準もかなりはっきりしているし、誰が答えても正解が同じになる試験問題が出されますし、正解の許容範囲も明確ですから、内容の難しさを除けば単位を取得しやすいと言えます。試験の山もほぼ定まっており(このホームページ内に独断と偏見に基づき紹介,学生の方は参考にして下さい),極論すれば、授業に全く出なくても、しっかり自分で勉強すれば単位を取得できるとも言えます。--ただ,現実には欠席の多い人は勉強しないので成績は悪いでしょうけど・・・

 しかし、看護学の授業では>>>

個々の看護教員の好みに"しっかり"従わなければ、単位を取ることが出来ない

  と私には感じられました。最初、私はそれで失敗しました。授業に出てもノートを取らず、先輩からの情報も入手しないで、教科書、参考書を読んで勉強して試験に臨みましたが、再試験を受けざるを得なくなりました。例え間違ってはいなくても、出題、採点する看護教員の好みに合っていないと、大幅に:減点されるように私には思えました。そして、考えた現実的対応として上に記した方法で、試験の時はトップとは行きませんが、高得点が得られるようになりました。極論を言うならば、看護教員の発言内容が社会通念にそぐわなくても、正しい知識として受けとめなくてはならないと私には思えました。

 看護学は学問体系として未完成で、少なくとも卒業前の養成課程で教える科目としては授業が難しいと私には感じられました。どうしても授業は医学の復習をし、そこに何とか看護学らしい内容を付け足して行くという感は否めませんでした。市販されている看護学生用の教科書も臨床の各診療科については、医学知識の記載が中心で付録として看護の記載があるという感じでした。看護の教科書だから何とか看護らしい記述をしなければという努力が感じられる箇所もありました。(<注>勿論,医学の講義,教科書記載は重要と思われます。)

 看護教員による「看護学」の授業でレポート提出を求められた際,その先生の授業内容をまとめて記載し提出したのに,「医学については書かれているが,看護についての記載がない」と言われたことさえあります。これでは,その先生は「看護学の授業で医学を教えていて,看護の教育はしなかった」と認めているようなものです。医学知識をもとに看護を展開すれば「看護ではなく医学」と言われ,医学知識をできるだけ出さないようにすると「背景知識がない」とのようにしばしば言われ,大変やりにくかったのを私は覚えています。医学と看護の混同はどうにかならないものかと私は感じていました。医学知識が必要とは言え,卒前教育では学生が混乱しないような教授法が望まれます。

 医師である大学の先生が同じ大学の看護学の試験問題を見て「採点基準が不明確な問題で、どう採点するのだろうと思った」と言ったりしていましたし、看護師国家試験の受験生は、

国家試験に出る"看護学"の問題は社会常識があれば解けるので医学知識の有無が合否を決める

ことを知っています。つまり、誰が解いても正解が同じになるような学術的な試験問題を"看護学"では作りにくいようなのです。看護学生時代の私は、「この看護学の試験を担当教員以外の先生が受けたら何点とれるだろう」とよく思いました。

学生時代の同級生が「先生によって教えることが違って、困る」と専任教員に苦情を言うということも何度かありました。

個々の教員にも流儀があり、多少方針が異なるのは当然でしょうが、許容範囲が狭すぎるようです。

実習で看護技術について文句を言われた時に「××先生にはこう習った」と口答えは決してせずに、学生間で情報交換してそこの方針に表面だけでも従っておくのが秘訣です。

  目立ってもいけません。出る杭は打たれる可能性があります。 

・試験でいつもよい成績を取ったり、時間内に手際よく自分だけ実習を終えてばかりだったり、看護教員の知らない知識を持っていたりすると、一部の看護教員からは生意気だと思われるかもしれません。

・レポートを要求された時も、参考文献として洋書の名前を書くと看護教員からは識者ぶっていると思われるかもしれません。

・人名についてもアルファベット表記は避けて,カタカナ表記を看護師,看護教員担当の科目ではした方が無難かも知れません。定着した日本語訳がない病名,物質名を書かなければいけない時には,教員の心象を損なわない表現を選択し,定着した和訳のないことを併記しないと,「日本語で書きなさい」と無理な注文をされるかもしれません。特に,洋書の読めない教員からは悪く思われるかもしれません。

勿論、このような教員は一部に過ぎないでしょうし、看護師だからという理由だけでその教員の性格が歪んでいるというわけではないでしょう。しかし、「能ある鷹は爪隠す」とも言いますが、トップの成績はあえて取らず何番目かにしておくか,人並みの出来にしておく方が無難です。

 私の偏見と思われるでしょうが、目立ってしまうと、毎回授業で指名されて質問に答えさせられたり、言いがかりをつけられて単位をもらえないという事態が絶対に起こらないとは言えないと私には思えるのです。しかし,

もしも教員からいじめを受け,それが余りに陰湿だったり,ひどいなら,学生と学校の双方に不幸ではありますが,対策を考えなければなりません。その場合,

弁護士に相談するという選択肢があります。--電話帳のタウンページ等に弁護士会の相談案内,弁護士事務所の広告があります。相談だけなら,30分5,000-10,000円が標準とされています。役所が無料の法律相談をしている場合があるので,広報も見てみましょう。相談の際は,事前に要点をまとめて相手に分かりやすく話せるようにしておきましょう。最悪の事態を迎える以前に早めに相談することが肝要です。まずは,"相談"してみましょう(あくまで,まずは"相談")

 あるいは,設立母体,管理組織に訴えるという方法も考えられます。公立であれば,衛生局とかの部署に苦情を言ったり,行政のインターネットのホームページに書き込んだりする方法があります。大学の付属であれば,学長当てに現状を記した苦情の手紙を書いてもよいかもしれません。これらの効力はともかく,何もしないよりはよいでしょう。

ここまでしなければならない深刻な例は稀でしょうが,こういう方法もあるということを,いざという時のために覚えておいて下さい。尚、いじめについては他の頁で詳細に記してあります。いじめを受けている方は参考にご覧下さい。

 


  以上、取りとめもない私見を述べてきました。

 最後までお読み戴けたとしたら光栄です。ここで再度、特定の組織、団体を誹謗中傷するものではなく、単なる一個人の印象であることを強調しておきます。

 現役の看護師の方、看護学生として勉学に励んでおられる方、そして高校生や一般の方も、ご感想があれば、賛否両論、下記までどうぞお寄せ下さい。

御意見,御感想を掲示板にお寄せ下さい。

投稿の際は必ず、投稿上の注意(表紙頁からも移行可能)をお読み下さい。注意事項をお守り戴けない場合は削除させていただく場合がございます。

反論をお寄せになる場合は、よくある反論書き込みについての回答を「投稿上の注意」に書いてあるので、まずこの注意事項をお読み下さい。また、賛同意見にも目を通すようにして下さい-看護教育に疑問を持つのは私だけではありません。

★投稿は反対意見でもしっかりと読んだ上で丁重に御返事をしています。私の文章が言葉足らずと攻めるのは簡単ですが、十分に解釈を考えないで私の返答を悪い意味にだけ取り、感情的になるのはお止め下さい。また、ご自分の投稿文章を読み直してみて下さい。一般論としてどう解釈されるか、あるいは国語の試験だったらどう解釈するのが正解とされるかお考え下さい。そうしないと、結局「管理人のいうことのほうが正しそうだ」と社会一般の方が思うだけではないでしょうか。
また、私が主張していないことを、あたかも主張しているかのような印象を与える投稿はご遠慮下さい。

  また、看護師、看護学生の方は、その旨と養成課程卒業年度(在学中ならその旨)を書いて下されば幸いです。同意できる点があれば,どこに同意できるかもお書き下さい。

 

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